こんにちは。2本目のブログ投稿、現役の高校体育教師APETです。
いきなりですが、
10年後や20年後に学校は存在しているのでしょうか?
もっというと、学校の先生は必要とされているのでしょうか?
私自身は15年後あたりに「他にできる人(か、機械的なモノ)がいる(ある)から、お前なんかいらない」と切り捨てられるのではとちょっぴり心配してます(笑)
その理由は後述します。
ただ、教育課程を理解し、学校(教師)の存在意義を問うと自ずと感じるものかもしれません。
この記事は、公立高校でリアルタイムで教えている体育教師から
■ 教育課程を作成するとき、持つべき視点にはどんなことがあるだろう。
という方向けへの記事です。
教育課程とは何か?
以下は前提です。
教育課程は、文部科学省が発令する省令(学校教育法施行規則)を受け、告示された学習指導要領を元に各学校にて作成されます。
【文部科学省 学習指導要領(解説)等の位置づけについて】
うん、ベースは指導要領なのは分かるんだけど…
指導要領にはどんなことが書いてあるんだっけ?という方は
前回のブログ『新学習指導要領 改訂の背景 編』をご覧ください。
以下に新指導要領が改訂された背景を3つ示しておきます。
② 知識の量と質のビッグバンと構造化の必要性
③ アクティブな学習者
詳しくは前回のブログをご覧いただくとして、
この指導要領の背景が示す、第一義的な目的は
「子どもたちが未知の社会に対応するために、自ら学び、新たな価値を創造していく人材に育つ」
ことなのです。
そこで登場するのが、教育課程さんです。
【教・育・課・程】という四字熟語を目にすると
「では、見なかったことに」とそっ閉じしてしまいがちなのが、現場の教員の性でしょうか。
でも、大丈夫!今回はこの教育課程について10分で解説します。
どうぞお付き合いください。
まず、教育課程を短くかつ固めに説明します。
「指導要領にある”目的達成”のために”学ぶ事柄”を順番に”並べた”計画書』です。
しかし、この説明だと心的な距離が遠くなると思いますので、具体的に解説していきます。
未来のために、今学ぶ
まず、上記した指導要領の第一義的な目的が示す視点は、「今ここ」「この瞬間」だけを見ていたら持てません。
中には、「いや、学校は目の前のことをまず一生懸命に学ばせることが大切だ。」とおっしゃる方もいるでしょう。
ある意味正解ではありますし、「今学ぶ」ことは当然です。
しかし、今学んでいる理由が”どこにつながっているか”が問題なのです。
例えば、子どもたちが、
授業のまとめテストで80点をとらないと、補習で残されて早く帰れなくて困るから勉強する。
これでは、現実の学びの目的と指導要領の目的にズレが生じてしまうのです。
(とはいえ、日々10年後のことだけを意識してしまう(させてしまう)のも行き過ぎですが)
つまり、子どもを含め、教育に関わる人が共通に持つ意識は
「激変しているであろう未来の社会で生き残るために、今学んでいる」
なのです。
学校が子どもに教えられる時間の限界
さて、学校が子どもに教えられる期間はどれだけでしょうか?
高校の進学率は98.8%ですので教えられる期間に数えましょう。
大学進学率は54.67%で、約半数は学校外の社会に籍を置くことになります。
(文部科学省 令和元年度学校基本調査より)
また大学は研究がメインで自分から学ぶ場でもあるので、この期間には含めません。
すると、小学校で6年、中学校で3年、高校で3年(定時制の場合は4年)です。
つまり、学校が子どもに教えられる期間の限界は13年なのです。
果たして、この13年間。人生を長いスパンで見たときにどのような意味を持たせられるのか?
学校で学ぶ期間 <<<<< 社会で学ぶ期間
学校が子どもに関われる期間は約13年。
では、学校外の社会に出てからの生活はどれだけあるのでしょうか?
今回は「学校以外の社会での生活期間」=「健康に日常生活が送れる期間(健康寿命)」とします。
日本人の健康寿命は男性で72.14歳、女性で74.79歳です。(2016年時点)
(厚生労働省 健康寿命のあり方に関する有識者研究会 報告書 2019年3月 より)
男女の間をとり、約73歳とします。
ここから学校で学ぶ期間を除くと、
73−13=60(年)
60年間は学校以外での生活を送るということになります。
この60年の間にどれだけの人類の進歩や技術革新、社会の変容が起こるのでしょうか?
想像できないですが、一つ確実に言えることは、「時代の流れは超高速」です。
なにせ、ここ10年でガラケーで毎日いじっていたあのiモードさえも終了してしまう社会ですから。
(2026年にサービス終了を正式発表。iモード世代だった自分としてはちょっぴり寂しい。)
ここからは余談です。
私は大学4年間を経て、教員8年目なので、60年分の12年が終わりました。
まだ48年間ある。けれど、ぼーっと胡座をかいていたら時代に取り残されるなと焦っています。
人生という長いRPGの”序盤”に
学校は子どもたちの限りある13年間に対し、果たすべき役割があります。
この部分を「RPG」で例えるとしっくりきます。
学校は子どもたちに何をするのか?
子どもたちにとっての学校教育のゴールは
『社会や時代の変化』という、無限に発生するボスキャラに立ち向かうため
『知識』という、武器や防具を装備する方法を身に付け
『価値の創造』という、魔王に怯えて困っている人々を救い、貢献する
ためのスキルを最低限手に入れることでしょう。
じゃあ、そのために学校は何をするのか?
することは2つ。
『RPGの”序盤”のマップとイベント、宿屋、宝箱、そして、少ボスを上手に配置する』
『子どもたちにRPGを冒険してもらい、13レベルまでは育てる』
(13レベルというのは、1年で1レベル上げると学校が教える限界の13年と一致するという根拠のない勝手な換算です。)
何より”序盤”というのがミソで、学校はラスボスとの戦いまで仲間ではいられません。
(おそらく将来はラスボス級が何体も出てくるのでしょうが)
つまり、この序盤までの仲間という制約が学校の限界である。
しかし、この序盤がストーリーの先行きを大きく左右します。
ストーリー脱落による困りごと
子ども自身は13レベル以降、自分で経験値を稼ぎ、レベルアップしていくしかありません。
そこで困ることもあります。
その後レベルアップしようにも、仮に主人公のレベルは5でした。
しかし、出ていく社会の敵は15レベル級でした。
この場合、どうなりそうでしょうか?
やはり、厳しい戦いになり、負けてしまうでしょう。
1度2度ならまだしも、教会で生き返る回数にも限界があります。
ストーリーが難しければ、レベルが上がらず達成感や充実感もなく心が折れてしまう。
しかし、易しければ、13レベルに到達しない。
授業単位でもこのストーリー作成がいかに難しいものであるかはご存知のとおりです。
勝手ながら脱落させない仕組みとして近い将来に当たり前になる形があると思います。
それは本筋を進めながらも、スピンオフとして子どもたちそれぞれにパーソナライズ化された教育を施していく形です。
(それこそ本筋とは逸れますのでこれくらいにしますが)
この13レベル。
ドラゴンクエストⅤでいえば、主人公の父パパスが仲間でいてくれるあたりまでです。
実際、父パパスが不運にも亡くなると主人公は大人になります。
大人になった主人公は1人ぼっちで冒険を続けなくてはなりません。
しかし、その後仲間を見つけながら果敢にも冒険を続けていき、魔王を倒すわけですが。
(世代で流行した例なので分からなかった方はすみません。)
改めて思い返すと、「主人公はなんと心細かっただろうか。」
「パパスとの旅は短かったが、そこでの成長があったからこそ未来が拓けたのかも。」
などと思いを馳せてしまいます(笑)
学校は序盤のストーリーを
最終的に、学校が果たすべき役割は大きく2つに大別されます。
「在学中の役割」と「卒業後へつながる役割」です。
【卒業後】長い冒険を切り拓こうとする勇気を育む。
そのために学校は『序盤のストーリー』を上手に作ろう!となるわけです。
ここまで長かったでしょうが、やっとまとまります。
実は何を隠そう!この序盤のストーリーが『教・育・課・程』なのです。(ババン!)
今回の目的である、教育課程の意味や意義、作成のための大切な視点がご理解いただけましたでしょうか?
そうなっていれば幸いです。
まとめ
①今学ぶ理由は、激変する”未来の社会で戦う力”をつけるため
②学校が教える期間=子どもが歩む長い冒険の”序盤”である
③教育課程は冒険序盤までの”ストーリー”
次回は、その教育課程をどうクリエイトしていくかを解説したいと思います。
【おまけ】冒頭の理由
ちなみに、冒頭の「お前なんかいらない」と心配している件の理由です。
結論は、「時代の変化に取り残され、未来が描けない」先生になってしまう可能性があるからです。
時代が変われば、子どもも変わる。
子どもが変われば、教育のデザインも変わる。
教育のデザインを変える主体は先生だと思っています。
その先生達が時代に取り残されたら、時代遅れの物事を教えることになります。
未来を生きる子どもからすれば、時代遅れの物事を教わる必要はあまりないですよね。
だから、心配しているのです。
もしかしたら、今が先生達の踏ん張りどころかもしれません。
我々も学び続け、未知だけど変わるであろう未来の前線にいたいものです。
お付き合いくださりありがとうございました。
コメント