こんにちは。現役の高校体育教師のAPETです。
今回は「HELPING CHILDREN〜私たちは子どもに何ができるのか〜」ポール・ダフ著の解説をしたいと思います。
本書は近年注目を浴びている「非認知能力」の重要性と「経済格差」に触れています。
特に、格差のもとにいる子どもの非認知能力の獲得は、貧困という逆境を乗り越え、将来を開く鍵となると示しています。
ですので、ターゲットは個人の教育レベルではなく、教育行政や学校などの社会システムとなっており、既存の教育のあり方への警鐘がメインとなっています。しかも、対象年齢も0歳から中学生までと広くなっているため、自分事と捉えることが難しい内容でもあります。
とはいえ、学校現場でもすぐにできる「考え方」や「指導法」も数多く触れられています。
そこで、今回は非認知能力の正体や獲得のメカニズム、身につけていく過程に至る部分を解説しつつ、逆境経験の多い定時制の生徒を相手にする筆者が、生徒に対する学校のスタンスのとり方や個人の授業で取り組める内容を書いていきます。
結 論
まずは、本書の結論です。
そして非認知能力は、教えて身に付くものではない。
「環境」が作り上げるものだ。
非認知能力とは?
非認知能力を一言で説明すると「測定できない能力」です。
具体的には、粘り強さ・自信・感情コントロール力・ポジティブ思考などのことです。
これらは、目に見える「形」や「数字」としては表れません。
しかし経験上これらの有無は、日々の行動や勉強の取り組みに関係していることはお分かり頂けるでしょう。
粘り強さを例にあげます。「問題を解いたけど、間違えたし、やり方もよく分からないからやめた」とすぐに諦めてしまう。
つまり「粘り強さのなさ」=「努力が続かずに諦めてしまう」ことにつながるのです。
本書では、「心のOS(オペレーティングシステム)」とも言われています。
心を起動させ動かしていく、そんな能力が非認知能力です。
非認知能力を考える上で避けて通れないのは、認知能力です。
漢字そのままで、非認知能力と対立する概念です。
認知能力を一言で言えば「測定できる能力」です。
目に見えやすく、評価しやすい力。つまり「学力」を指すと考えて良いでしょう。
例えば、読解力や計算力があげられます。これらの力は、偏差値やIQ(知能指数)のように数値化できます。
したがって、透明性や公平性の確保が必要とされるテストで用いられています。
現にあらゆる場面で、このような「目に見えるものさし」を用いた評価が多いのではないでしょうか。
しかしここで重要なことは、将来の成功の鍵は認知能力ではなく、”非”認知能力である、ということです。
研究の詳細は省きますが、幼児期に非認知能力の向上に力を注がれた子どもは、そうでない子どもより、年収や学歴、健康的な生活を送る割合などが高く、犯罪や借金をする割合が低かったそうです。
非認知能力は環境次第
では、何をどう教えれば非認知能力が身に付くのか?という興味が湧くと思います。
結論から言うと「教えても身に付かない」です。
正確には育つ「環境次第」で発達度が変わると理解してください。
そして、非認知能力の発達に最悪な影響を与えるものはハッキリとしています。
『ストレス』
これが、非認知能力最大の敵なのです。
そして子どもがストレスを感じるシーンで、影響が大きいのは以下の3つです。
② トラウマ
③ 教室の雰囲気
親の反応不足
この世に生を受けた赤ちゃんにとっては、親の反応が全世界です。
本書ではこの反応のことを「サーブ&リターン」と言っています。
日本語にすると、やり取りのことですね。
簡単な例をあげます。赤ちゃんが「ふぎゃー」と泣きます。それに対し「オムツが気持ち悪いのねー。」と親の反応が返ってくる。赤ちゃんはこの何気ないやり取りの中で、言葉や感情を獲得していきます。
つまり、周囲の反応が赤ちゃんと外界の「つなぎ役」となります。
この反応の積み重ねが、自分という存在の認識や世界は安全な場所であるということを知る機会なのです。
では、その機会がなかったら?と考えると、、、
自分は守ってもらえるのか?という不安や恐怖の状態が続きます。
サバンナに一匹取り残され、いつ食べられてもおかしくないうさぎ状態です。
この環境が常態化すると「慢性的なストレス」がかかります。
人が生まれながらに持つ欲求の根っこ部分にあたる、心の安全基地がない状態で生きていくことになります。
すると、ストレス対処能力(自制心)が身につかず、外界はカオスで不安定な場所だという認識を覚えます。
幼い子どもにとっての「何気ない会話や応答」は、非認知能力発達の土台になるのです。
トラウマ
トラウマを簡単に言うと「心のケガ」です。
心のケガは体の傷と違い、癒えるまで長い時間と治療を要します。
最悪、一生抱え続ける可能性もあります。
「慢性的なストレス」になるのです。
では、どのような経験が子どもにとってのトラウマになるのでしょうか。
アメリカの研究で、子供時代の逆境(ACE)という「トラウマ経験の回数調査」があります。
ここで言うトラウマ経験とは、虐待やネグレクト、親の薬物乱用、アルコール依存、離婚などです。
このACEスコアが高いほど、うつや自殺などの自己破壊行動が増すそうです。
また、ACEスコアが0回か1回かで、子どもの問題行動の発生率も大きく異なります。
スコアが1点の子どもでは、85%に問題行動が認められたそうです。
見方を変えると、たった一回のトラウマが、子どもの自己コントロール力を奪うのです。
つまり家庭崩壊という「環境」が、自制心に負の影響を与えるのです。
教室の雰囲気
本書事例は、未就学児の教室でした。
しかし、教室の雰囲気をつくる要素(というか原理)は、高校もそうは変わらないと筆者は思いますので、具体例は高校verにします。
まずは、学生時代の教室の雰囲気を思い出してみてください。
あの先生の授業は面白かったなぁ、などの記憶が蘇ってくると思います。
では、この面白いという雰囲気をつくる要因は何でしょうか。
それは先生と生徒のやり取りの中で「一貫したルール」と「ポジティブ行動への着目」が両立された状態です。
例えば、授業で使用禁止のスマホを使っていた生徒がいたとしましょう。
先生「おい◯◯、授業中にスマホを使ったらだめじゃないか?」
生徒「別にいいじゃねーかよ」
先生「みんなが守る授業ルールだからだめだろ」
生徒「うるせーな。他の奴も使ってるじゃねーか。」
悪い雰囲気になるのはこんなやり取りです。
・・・ルールを守らせることに精一杯な先生にありがちですね。
一貫したルールは保っています。しかし、できていないネガティブ行動にフォーカスしています。
ポジティブ行動への着目がなされていません。反対に、叱るという罰を加えた形になっています。
先生「あれ?〇〇、今スマホ使ってる?」
生徒「いや、別に」
先生「そっかそっか、授業中ってスマホはどうするんだっけ?」
生徒「んー、かばんにしまうー」
先生「うん。OK、OK。じゃあしまっておいてー」
こちらは、しまう動作をポジティブ行動として着目し、それでいながらルールも保っているのです。
要は、自制心や自己肯定感が備わっていない子どもは、ストレス(ここでは「スマホを使うな」というルール厳守命令)に反発します。そして、相手との対立を生んでしまうのです。
そこを対立ではなく、自分でルールに乗れる促し方。乗れたとしたら、その部分を良い面として注目すること。
こんな環境なら、落ち着いた状況で粘り強く学習にも取り組めます。結果、学力の向上にもつながるのです。
最後に1点だけ、教師視点で面白いと感じた部分を紹介します。
それは、教師が落ち着いた雰囲気をつくるための要件に、教科指導力が入っていない点です。
さらに、落ち着いた雰囲気は学力向上にもつながると前述しました。
これらから導き出されることが重要です。
要は、雰囲気作りスキルを高める方が、教科指導力を高めるより、学力を伸ばせる可能性が高いということです。
教科の専門性や指導力が重要なのは百も承知です。
しかし、貧困家庭が増加している以上、安心して学習ができる環境づくりが子どもたちの将来に与えるメリットは相当大きいと感じます。
ストレス環境は誰がつくりだすのか?
非認知能力最大の敵「ストレス」を、子どもに与えてしまう環境の具体例をあげてきました。
そして、これらには共通点があります。それは「大人の接し方」がストレス要因だということです。
これが理解できたとしたら、我々大人は自覚しなければならない教訓があると思います。それは、、、
日本の子どもの7人に1人は貧困の中におり、ここでいう逆境を抱えていると言われています。
ということは、すぐキレたり、集中力がなかったり、あきらめグセのある子どもは、どこにでもいると考えられます。
子どもたちを育てることが大人の役割であるならば、どうにかしたいと感じるはずです。
そのためにはまず、非認知能力の構造を知ることが必要になります。
次のパートでは、非認知能力という目に見えない力を、見るための方法を書いていきます。
学習のための積み木
子どもが備える非認知能力を「見る」ために役立つ図を、本書から借りてきます。
これは「学習のための積み木」と呼ばれ、非認知能力をモデル化したものです。
まず図をぱっと見て分かることは何でしょうか。
一つは、「下」に行くほど積み木が大きいこと。
もう一つは、積み木には「上」と「下」があることです。
当然、積み木は空中には置けないので、下から積み上げなければいけません。
非認知能力も同様、土台があって初めて上部に置いていけます。
その点家づくりと似ていて、一軒家を建てる際に2階からつくり始めないのと同じようなイメージです。
要は、いくら立派な家(主体性・好奇心・社会性)を建てようとしても、基礎部分(アタッチメント・ストレス管理・自制心)がなければ家は建たないよね、ということです。
では、現実問題はどうでしょう。
積み木が積めていない子どもに、いきなり立派な建物を建てようとする大人ばかりだと思います。
なぜなら多くの人は、体の成長と心の成長が連動していると捉えているからです。
そこで、学習のための積み木の出番となります。
一つの答えは、積木を自分と子どもの間に挟む「レンズ」にすることです。
例えば、好奇心がなく、集中力が持続しない子どもがいたとしましょう。
レンズを持たず裸眼で見ていると、「意欲がない子だ」と”表面的”な判断をしていたかもしれません。
しかし、レンズを挟むと”深層的”に見ることができます。
つまり、積み木の土台部分の「欠け」が奥深くにある好奇心のなさかも?という疑問を持てます。
その疑問を持つだけで、子どもへのアプローチが180度変わるでしょう。
なにせよ、積み木は空中には積めませんから。したがって、下部のどこから積んでいくと良いかと考えられるのです。
自信のなさ?友人との関わり方?親からの愛情不足?と補い方を見つけようとできます。
まとめ【学習のための積み木】
上位スキルの有無が学力に直結し、身に付いていない場合、できない子認定をされがち。
積み木レンズを通すことで、表面的なできなさではなく、土台の補完が必要だと認識できる。
学習のための積み木は、一歩離れた視点をもたせてくれる現場の武器になるのではないでしょうか。
非認知能力が高まる環境
では最も気になる、どんな環境が非認知能力を高めるのか、という点です。
まずは結論から。非認知能力が高まる環境とは、
内的動機によるポジティブ行動
自分なりの目的がある行動とは、内的に動機づけられた行動のことです。
要は「誰かに何かをもらえるわけではないが、自分が満たされるからやる」行動です。
例えば、好奇心に満ち溢れ、粘り強く勉強に取り組む子どもがいたとします。
その子どもの目的は、報酬(お金やご褒美)ではないでしょう。
おそらく、知ること自体が楽しいのような理由から、時間を忘れてまで勉強をし続けるのでしょう。
しかも誰から見ても、褒めるに値する行動として受け取られますし、自然と認知能力(学力)も高まります。
このように、非認知能力が発揮された行動が「ポジティブな行動」であると本書では言っています。
つまり、ポジティブ行動が多くなる=非認知能力が身に付いている ことと同義なのです。
ポジティブ行動は、3つの動機づけ要素がもとになります。
その3つとは「有能感」「自律性」「関係性」です。
言い換えると「自分ならできるはずだ」「自分で選んだんだ」「自分は認めてもらえるんだ」という感覚です。
この感覚が満たされて初めて、「自分なりにこうしたい」という自発的な行動に結びつきます。
ちなみに罰やご褒美で釣るなどの動機づけによる、非認知能力への効果は「0」だったそうです。
とはいえ、学習レベルが上がるにつれ、全員が内的にモチベートされた行動を続けることは難しいのでは、と感じるのではないでしょうか。
確かにその通りで、単調な計算や漢字練習をこなすには、外的な動機づけが必要になります。
しかし外的な動機だとしても、先の3つの要素を満たせれば、ポジティブ行動が芽生えるのです。
ポジティブ行動を生む環境
積み木が積み上がっていない子どもたちは、失敗や評価などの外からの反応は「敵」だと捉えてしまいます。
反対にそれを解除できれば、ポジティブな行動を増やすことができるのです。
そのためには、教師が「ポジティブなメッセージ」を送り続けるしかありません。
ポジティブなメッセージ
方法は「全体」に対するものと「個人」に対するものの二方向があります。
全体へのメッセージは、この場は失敗しても責められることはないよ、やり直せるよという安心を伝えるものです。
なぜなら、自信ややり抜く力のない子どもは、常に崖っぷちにいる気分です。
ですので「あなたたちがいる場所は崖でなく、誰からも襲われない草原だよ」と根気強く伝えるのです。
個人へのメッセージは、「あなたならできると思う」という期待をかけるものです。
本書の例として、作文の再提出率の実験があります。
作文返却時にどのようなメッセージ(付箋)を添えるかによって再提出率が変化します。
「あなたならできると思って」という付箋と、平凡なコメントを添えて返却をした場合を比較します。
お察しの通り、期待付箋の方に軍配が上がっています。
ここには、どのようなメカニズムが働いているのでしょうか。
これまでは、自分を切り捨てるためだった教師の評価が、期待のコメントがあることで承認という評価へ一転するのです。
簡単に言えば、敵出現アラートがセーフティシグナルに変わり、もう一度チャレンジしてみようかなと思わせるのです。
生徒参加型の学習環境
次に、敵意のない人間関係が築けたら、学習環境にも手を加えていきます。
生徒参加型の共同学習やプロジェクト型の学習です。
一言でいうと、授業の手綱を子どもに渡した学習です。
生徒参加型学習は、グループでの学習が中心です。
ここまでの集団にポジティブな雰囲気が芽生えていたら、学習のグループは居場所になります。
そしてグループは、同じ船に乗るクルー(乗組員)という意識に変わります。
課題を乗り越える中で、自分が必要とされていると実感でき、学ぶことが意義あるものに変わっていくのです。
もし自分がいることで目的地に到達できたとしたら、モチベーションの3つの要素は満たされます。
外から見ればすでに、好奇心や自制心があるように振る舞えているのです。
生徒参加型学習の課題
実際の現場では、共同学習が認知能力も非認知能力も高い層にばかり取り入れられていることが大きな課題です。
学力が低かったり、荒れている層に対し、手綱を渡す方法はリスクが高いと認識されています。
管理、監視、制約体制をつくる傾向にあります。
基礎力や協調力がないからドリル学習をやる、になってしまっているのです。
詳しくは書きませんが、本書では貧困層の子どもが取り組む参加型学習の効果も実証されています。
まとめ【非認知能力が高まる環境】
動機づけには、敵意を解除する安心と期待のメッセージを送り続けることが大切である。
安全基地をつくり、参加型学習で課題を乗り越える体験が、さらなるポジティブ行動を生む。
私たちが「目の前の生徒」のためにできること
まず、学校としてできることです。
それは学力偏重から、ポジティブ行動の発見へシフトしていくこと。
決して、学力や偏差値がいらないと言っている訳ではありません。
社会進出後に向き合う、問題発見や課題設定。課題解決のための知識連結や知恵の創造。
この過程において、学力が高いに越したことはありませんが、必要十分条件でもないと思うのです。
むしろ重要なことは、正解のなさに立ち向かい続ける「姿勢」や、他者を巻き込む「協働」の力へシフトします。
そのために学校は、子どもたちなりの目的を持つ、非認知能力が発揮されたポジティブな行動を引き出す場というスタンスを持ちましょう。
次に、個人としてできることです。
それは子どもを主観で判断せず積み木レンズを通すこと。期待と安心のメッセージを発し続けること。
何より、「今すぐに行動を変える」ことです。
本書の内容は、言われてみればその通りだと腑に落ちると思います。
しかし頭では理解できても、実際の行動に移せない。移せたとしても長続きしない。
このことが最大のハードルなのだと思います。
ポジティブなメッセージを1度発したところで、環境は大きくは変わりません。
しかし、その1度を繰り返すことが、環境を変えるきっかけになるのです。
改めて言います。学校において、環境に影響を及ぼすのは「先生の発するメッセージ」です。
このことを自覚し、子どもたちに非認知能力が育める環境をプレゼントできると良いですね。
以上、「私たちは子どもに何ができるのか」の解説と、実際の教育現場に活用できるアクションの紹介でした。
少しでもお役に立てたとしたら幸いです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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